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私たちのお惣菜

Modern Restaurant Kitchen

​​登場人物

  • 久住光一(「スーパーくすみ」社長兼店長・51歳。父の代からの弱小スーパーを引き継ぎ、毎日朝から晩まで働くマジメな男)

  • 久住洋子(光一の妻、「スーパーくすみ」専務・49歳。調理スタッフのリーダー的役割で現場を仕切る)

  • 浜岡さん・斉藤さん・荻野さん(「スーパーくすみ」の惣菜調理スタッフ)

  • 吉田(東京さかえ信用金庫・下井草支店次長)

  • 渡辺タケル(グルメリポーター・タレント)

 

学生街の妙な神社

 東京さかえ信用金庫の本店から出てきた久住光一は、浮かない顔をしていた。

 直接の取引先は下井草支店なのだが、資金借入に際して本店融資部の承認が必要ということで、わざわざ都心まで出てきたのだ。しかし、結局色よい返事をもらえなかった。

 後ろから、下井草支店次長の吉田が追いかけてきた。「社長、すいません。わざわざここまで足を運んでいただいたのに私の力不足で、申し訳ございません。引き続き、支店長には掛け合いますので」

「いえいえ。そんなことありませんって。こちらも経営を根本的に見直さなくてはいけないことがわかりましたよ」

 

 二人で歩き始めたのは「さかえ通り」とかいう学生街で、まだ午前中だというのにたくさんの若者たちが行き交っていた。ふと振り向いた先の目に止まったのは、幅1 mほどの小さな空間に押し込まれたような神社の祠である。

「吉田さん、こんなところに神社があるんですね」

「ああこれですか、清水川稲荷神社っていいましてですね。私がよく本店勤務の頃にはここに願掛けに通ったもんですよ。商売繁盛の神様というので、社長にもご利益があると思いますから、ちょっと二人でお願いてみましょうか」

 なんだ神頼みか、と久住は苦笑いしたが、せっかくここまで来たのだからよい機会かも、と思って手を合わせることにした。ところが財布には500円玉しかなかった。まあいいか、仕方ない。スーパーくすみの経営がうまくいきますように、今年も従業員にボーナスがきちんと支払えますように、とささやかなお願いをした。目をつぶって祈る間に、「しかたニャイなあ」と、妙な声が聞こえたような気がした。

  久住の経営するスーパーは、東京の郊外にあり、元々父が経営していた青果店を、昭和50年代に発展させたものである。しかし大手資本の参入や地元住民の高齢化など、多様な要因があって苦しい経営が続いている。最近ではコンビニとの競合も生まれていて、高齢世帯の常連客も取られている状態だ。建物の老朽化が激しく、今回は店舗改装にあたっての資金相談に来たのであった。

 

俺たちのハンバーグ

 「ところで社長、腹減りませんか? この近くに美味しい店があるんですよ。是非ご一緒してください。ま、ハンバーグとかなんですけどよろしいですか?」

 久住はあまり食欲がなかったが、吉田に連れて行かれるままに歩き「俺たちのハンバーグ」と書かれた看板の店に入って行った。11時半なのに結構混んでいたが、ちょうどカウンターが2席空いていたのでそこに座った。

 吉田はメニューを久住に渡した。そのハンバーグ専門店は、独特のメニュースタイルになっていた。「高瀬のハンバーグ」「角田のハンバーグ」「黒澤のハンバーグ」と、それぞれのシェフの名前を冠したメニューが並んでいる。1店舗に3人のシェフがいて、違ったテイストのハンバーグを競い合う形となっている。

「へえ、変わったシステムなんだね。しかしこれだけじゃどれがお薦めかわかんないなー」と迷っていると、久住の右隣に座っていた男が、突然声をかけてきた。

「こちらは初めてですか? 僕はここに来ると必ず、黒澤シェフの『石焼煮込みハンバーグ』を頼むんですよ。これが絶品でしてね」

 よく見るとその男は、テレビによく出ているグルメレポーターの渡辺タケルであった。

「あなた、あの、グルメの?」

「あーそうそうそうです、渡辺です。でも今日は仕事じゃなくてプライベートで来てるんですよ。どっちかというと魚の方が好きなんですけど、本当にこの店は美味しくてね」

 さすが都心だな、とびっくりして、久住は吉田と顔を見合わせた。そういえばこの近くの大学も、ある人気番組の「ベース基地」とかになってるらしくて、よく採り上げられている。

「この店のシステム、面白いですよ。3人のシェフのプライベートブランドを店の中にで出しているんです。ま、人の名前がイコールブランドってことですね。全員タレントのように、それぞれのファンがついているんですよ。おっ、黒澤ハンバーグが来たようだ」と言い、渡辺は紙エプロンをつけた。

 ジューという音とともに、シェフ自らが、渡辺にランチセットを運んできたようだ。

「黒澤さんお久しぶりです。いつもだいたい魚なんですけど、いやぁ、あなたのハンバーグがたまにどうしても食べたくなることがありましてね」

 黒澤は屈託のない笑顔で「たまに、ですか。ハハハ、まあいいです。そう言っていただけると大変嬉しいです。テレビでお忙しいのに、時間つくってくれて、ありがとうございます」と答える。

 この店が3人のシェフとファンとの結びつきによって、熱狂的なファンを生み出していること、そして一人一人のシェフが自分の名前を冠した商品を打ち出すことによって、責任感とプライド、そして競争心を生み出していることに感心した。

 

 お惣菜のピンチ

 妻で常務をしている洋子が「このところ、お惣菜の売れ行きが芳しくないのよ」と愚痴をこぼした。確かにそれは久住も感じていたことで、ちゃんとデータにも現れている。特に近隣にコンビニエンスストアが2軒もできた2年ほど前からその兆候はあった。

 スーパーくすみの常連は、四年前に亡くなった父の代からの客が多く、その中心となる層は、いまや70代である。ただでさえ買い物が億劫になり、スーパーに足を運ぶのも大変な中、重たい野菜を抱えて家まで戻るのは重労働である。また、配偶者と死別した単身の高齢世帯も多く、自分の食べるものだけだったらお惣菜で済ました方が手っ取り早いし効率的、というニーズも高かった。もちろんコンビニ側は、そうした高齢者世帯のお惣菜購入ニーズをわかったうえでの出店であった。弱小スーパーくすみは、なすべもなく、客を奪われていたのである。

 スーパーくすみでは、父の代から店内で惣菜の加工調理を続けてきており、それが美味しいとかつては評判だったが、時代も変わり、客層も変わり、担当者が入れ替わったりする中で、なかなか他店との違いが打ち出せなくなってきていた。

 洋子は、肩書は常務ではあるが、現場に出て、調理場の仕切りをしている。前向きで明るい性格で、結婚後に調理師の資格も取り、調理スタッフの指導も欠かさない。

「調理スタッフの浜岡さんも斉藤さんも荻野さんも、みんないい味出すんだけどね。どうしても売上が伸びないと、やる気も出ないわよね。このままだと、誰か辞めちゃうかも知れないわ」

 3人は近所の主婦のパートタイマーだが、もう長いこと勤めてもらっており、家族同様のつきあいだった。しかし、一人辞めると連鎖反応が起き、全員辞めてしまう可能性もある。今日、こうした小さな店舗で新たに人を集めるのは至難の業で、ほぼ毎日出勤してくれるような今の3人のような人材は当分見つからないだろう。

「でもね、浜岡さんの作ったきんぴらって凄く評判よくって、毎回それを求めてくるお客さんもいるのよ。斎藤さんもああ見えて研究熱心だし、荻野さんは自分で新しいメニューを考えるのが得意なの」

  その時久住は、「俺たちのハンバーグ」での渡辺の言葉を思い出した。

「洋子、じゃない専務。ちょっと相談なんだけどさ。俺は、インストア調理はやめたくないんだ。親父の時代からスーパーくすみの最大の売りだからね。セントラルキッチンの惣菜を増やしてしまうと、そりゃあ効率的かも知れないけど、商品に全く個性がなくなり、それこそコンビニとの差別化もできないだろう。」

「そうね。何とか巻き返したいわ」

「一番いいのは、浜岡さん斉藤さん荻野さんに最大限の力を出してもらうことなんじゃないか、と思うんだよね。そこで考えたんだけど、『浜岡さんのきんぴら』『斉藤さんの肉じゃが』『荻野さんのカツサンド』、この三つをプライベートプライベートブランドとして売り出そうと思うんだけど、どうかな?」

「えっ、プライベートプライベート? 何なの、それ?」

「いや、いま俺が思いついた言葉。プライベートブランドっていうのは、店のブランドだけど、店の中の個人のブランドだから、プライベートプライベートブランドってわけ。お惣菜に作った人の名前をつけるってことさ」

「つまり、浜岡さんなら浜岡さん、荻野さんなら荻野さんご指名で、この店に来てくれる人を増やすってことね。できるかしら?」

「もちろんいきなりすべての商品は無理だけど、例えば3人が得意なお惣菜三つずつぐらいから始めてみたらどうかな」

 

プライベートプライベートブランド

 久住は翌日、インストア加工を担当する 3人のパートの女性を集めて話を切り出した。

「えっ、私たちの名前が商品につくんですか?」と、 3人ともびっくりしたような顔をして顔を見合わせた。

「そうです。これから高齢化社会になってくると、どうしてもお惣菜需要は重要になります。それから商品の安心安全を考えると、父の代からやってきた無添加のお惣菜作りは、必ず評価される時代が来ると思っています。そこで、皆さんが得意な三つのお惣菜からまず、くすみの中のプライベートプライベートブランドとして売り出していきたいんです。ぜひ協力していただけませんか」

 久住の熱い説得に、3人とも「わかりました 私たちができることであればなんでもご協力します」と言ってくれた。全員、目が輝いていた。洋子も笑顔だった。

 商品パッケージや店頭ポスターは、美大に通う娘の遥香に格安で発注した。

「父さんも365日、働いてるんだもんね。たまには手伝ってあげるわよ」と泣かせることを言ってくれる。父の背中を見てくれていた発言に、久住はちょっとうるっとした。

 もっとも遥香は暇を持て余していたようで、あっという間にデザイン案を三つも持ってきてくれた。それをキャッキャ言いながら 3人のパートさんたちが選び、商品表面にシールをペタペタ貼る作業も、喜んでやってもらった。

 この、店内調理の担当者名を冠する商品、最初のうちは3人の知人からじわじわと広まったが、あっという間に口コミで話題を呼び、客は次から次へと買っていくようになった。「誰それの何々が美味しい」といった話で、人が人を呼ぶ状態になり、隣の市から買いに来た、という客も出てくるようになった。コストもかかるし人件費もかかる。でも安心安全で出来立てのお惣菜を消費者に届けたいと、いう先代社長からの思いを引き継いだ久住は、アイデアが何とか軌道に乗ってホッとしていた。

 もちろん売上は上がったが、効果はそれだけではなかった。

 商品を購入した人が「浜岡さん斉藤さん荻野さんに会いたい」と言って、わざわざ感想を言うために店舗に来てくれるケースが目立ってきたのだ。そのたびに久住は、スタッフと客を引き合わせることに心掛けた。当然3人のモチベーションが上がり、プロ意識が高まった。プライベートプライベートブランドの種類も、お惣菜のバリエーションも、どんどん増えていった。お惣菜の売上アップは、当然のことながら他の商品への波及効果も生まれる。スーパーくすみは、小さいながらも、地元で存在感のある店舗に変わっていた。

 何より嬉しかったのは、3人の弟子になりたいと言って、新たなスタッフ募集にたくさんの人が応募してくれたことだった。流通業も結局は人だ、と父が何度も繰り返し言っていたのを、久住は思い出した。

 

不思議な街の体験

 ある日、テレビ局からの取材依頼があった。「お惣菜の美味しい店」として、午後の情報番組で取り上げたいと、まあそのような依頼だった。できれば 3人の「お惣菜レジェンド」たちも登場させて欲しいとのことである。

 もちろん大歓迎である。よい宣伝になるに違いない。当日、撮影クルーとともに店に現れたのは、グルメレポーターの渡辺タケルであった。渡辺は「この店の肉じゃがとひじきが絶品だ」とか言って賞賛してくれた。遥香が、しっかりサインをもらっていた。

 撮影後、久住は渡辺の元に歩み寄り、「今日はありがとうございました」と礼を言うと「ところで渡辺さん、実は一度、さかえ通りのハンバーグ屋さんであなたとお会いしたことがあるんですけど、憶えておられます?」と尋ねた。

「さかえ通りのハンバーグ店? 私は一度も行ったことがありませんけど、もしかしたら別人じゃないでしょうか。よくある顔ですからね、はははは」と言って笑った。

 この放送の反響は凄まじく、いつもより多めに用意した惣菜は午前中で売り切れるなど、翌日はほとんどパニック状態に陥ったが、調理体制を整備して何とか対応し、まさに嬉しい悲鳴となった。その日、近くのコンビニの一軒が閉店するという話が入ってきた。

 

 一週間後、信金の吉田が連絡してきた。融資の件、うまくいきそうなので、また本店まで来てくれと、要するにそういう話だった。

 前回の交渉と打って変わって 本店融資部の部長は満願の笑顔だった。

「お客さまがこれだけ人気店になっていただけるとは、信金冥利に尽きます」

「いや実はこれ、吉田さんに連れてってもらった店の仕組みを、自分のところに応用しただけです。この先に『俺たちのハンバーグ』とかいうお店がありましたよね。その店のシステムを店内の惣菜調理で真似したのです。それが当たりましてね」

その言葉を聞いて、吉田が不思議そうな顔をした。

「俺たちのハンバーグ? そんな店ありましたっけ?」

  融資部長も「知りませんねぇ、私もここ長いんですけど、行ったことないなぁ」と首を捻った。

「確か、あの時吉田さんと一緒じゃなかったかなあ。私の勘違いかな、まあいいや。これからもよろしくお願いします」

 そう言って本店を出ると、久住は「俺たちのハンバーグ」に向かってみた。しかし、確かにあの日、吉田と一緒に行った場所にはそんな店はなく、そこには牛丼の「すき屋」が堂々と店を構えていた。

 なんか不思議な街だ、と思って、久住はまた、例の小さな神社に足を向けた。あの日、500円で奮発したから、きっと神様が助けてくれたんだな、と思い、再び祠の前に佇む。賽銭は今度も、500円玉にすることにした。安いもんだった。

 

 ふと、久住の足元を黒い猫が横切った。その目は、綺麗な緑色に光っていた。

「ちょっと、サービスしすぎたかニャー」

 そんな言葉が聞こえたような聞こえなかったような気がした。

参考資料

  • 佐藤啓二(2010)「売れ続ける理由~ 一回のお客を一生の顧客にする非常識な経営法」ダイヤモンド社

  • 日食外食レストラン新聞編集部 (2012)「惣菜弁当の殿堂 味付けは親心、盛り付けは活け花の心得 主婦の店さいち惣菜弁当全集」日本食糧新聞社

ちょこっと解説⑧

「商品に社員の名前」

 スーパーくすみでは、調理スタッフの名前を惣菜のブランド名にしてしまうという、いうなれば「職人ブランド」戦略を採用しました。奇天烈な策のようですが、ルイ・ヴィトンだってシャネルだってファッションブランドの世界はもともと、職人である創業者の名前から来ています。

 熊本県に「果実堂」という農業法人があります。ここの面白いところは、自社の独自技術を開発した社員の名前をとって「中島式パッキング法」「落合式ハイプレッシャー法」などと命名しているところにあります。https://www.kajitsudo.com/technical

​ 社員と顧客との距離を縮めると同時に、社員一人一人のモチベーションを上げるプラベートプラベートブランド。いろいろな事業分野で使えそうですね。

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